「意味と強度の二項対立」がこんなにも自分にしっくりこないのは音楽が今まで自分の中で大きな位置を占めてたからだとおもう。音楽は意味と強度が両立してる世界が多過ぎて、この二つが全然二項対立に思えないからだった。まあでもそれってとても面白いものではあるとおもう。意味に幸せを求めるか強度に幸せを求めるか、それは個人によって全然違うだろうけど、結局いつだって幸せを求めてるというのが面白い。
幸せな状態てのは自分にとってどんな時に起こりうるだろうか。自己実現をしている時。不安がない時。一つのことに無我夢中で集中してる時。未来に対し明るい気持ちでいれる時。今思いつくのはこれくらいだ。これらの表現が正しいとかはどうでもいいのだけど、大事なのは幸せはなんでこんなにも手に入れられないのかということだ。だいたいこれらを実現すれば幸せだろうと想像しているが、実際にこの時を体現できないことが多いからこんなところでこんな風にブータれている。例えば自己実現って自分にとってどういうことなんだろうとか、不安をなくすにはどうしたらイイかとか考えると全然わからない。意思決定は不得意だし頭も良くない。こういった前提に加え、現実はあらゆる邪魔をけしかける。けどこういう邪魔というのは自分を社会にいさせてくれるための条件だったりレベルアップの修行だとか考えてるけど、上手く切り捨てが出来ないといかんように思ってきてる。自分はトレードオフとかがすごい苦手だからこれからの社会でやっていけるか微妙なとこだが、頑張りたい。
と、別に基本的に普段は何にも幸せとか考えないのに今日うだうだ言ってしまったのは、この突然やってくるどうしようもない分裂的な気持ちを持て余し、どうしたら解決できるかを持ち合わせていないからです。