メモ

読み終わったチェーホフ「可愛い女」
最後の文が今まで書かれたのを一気に全て怪しくさせる。可愛い女の描写は置いといてこの最後の一文には驚きを持ちつつも拍手したい。しかしこうやって隙間ではないけれど不確定要素を作ることにより、また文学は存続し悩みを生み続けるぞというこのスタンスが現代においてくづれてきているというか、飽きられてきてしまっているというのが少なからずあると思う。みんな答えを欲しがっているからね。ポストモダン。そろそろ次の時代に行くかね