授業にて。
水というものは恒常性、同一性を持っている。
私はここで思うのは今回の放射性物質による影響である。常に同じ水で私たちに不可欠なものだったのが目に見えぬ放射性物質によってその同一性を私たちに気付かぬ様に崩してしまったということだ。もちろん私たちは知らされることによって気づいているが知覚することが出来ない。それは私がよく持つ、将来に対する不安、すなわち携帯をいじってばかりいると脳みそが萎縮してしまうのではないだろうかだとか、甘いものばかり食べていると何時の間にか糖尿病になってしまうのではないかとか、こうリセットの出来ない状態になってしまう恐怖と非常に似ていると思う。そしてこの恐怖が同一性の崩壊を原因にしていることがポイントだ。人はこの同一性を日常において確認できない。それは言語の不確かさ、つまり他人のことを永遠に理解出来ないのと似ている。現実はゲームと違い数値化出来ないのだ。オーラやアウラなどは全く存在しない。ただあるのは観る者達の信頼あるいは勘違いのみだ。それが勝手にアウラを生み出している。
話はそれてしまったが数値化出来ない現実の不安を描くことの出来る物それこそが文学ただそれだけなのだ、と論証もなしに言いたかったそれだけです。
そして文学にホントにそれが描けるのかは知らない。