時間とは継続的なものだけど区切りがないと困っちゃう

Slowdive/Souvlaki/\1000

Pia Fraus/In Solarium/\900

最近はPinbackのPenelopeのEPに入っているAnti-Huという曲にはまっている。ジャケットと曲から連想されるイメージが大変好みだ。こういう文体でありながらああいうのが好きというのも変わった感じだ。ピンバックはあのひっそりひんやり冷めてるけれどどこか満足しているような曲が好きだ。四枚目はあまり好きではない。新作って出たの?最近はアーティストを追うという行為を全くしないため何だか生活がつまらんものになっているんだと思う。別にしたからといって変わらないかもしれないけど。
今回は割と二つとも高値で買ってしまった。でもこういうのはたいていここいらからは値段下がらなそうだから買った。年末を終え、年始を過ごすことにより気持ちがずーんとしたためこういうのを聴きたくなったのかもしれない。今ふと思ったけれど歳を取るにつれ、やたらとこの時期的なものに気持ちが左右されるようになってしまった。というのも昔は毎日等しくというわけでもないけれど気持ちの面では常にフラットだった。だけど4月になると4月の気分とか12月だと12月の気分という風に最近はなりつつある。それは時季に合わせた行事的な物をやるようになったからだと思う。昔は6月はみんな疲れちゃうものよなんて言われると、弱いだけだしっかりしろ、みたいな考えを持ってたけど(多分根底に自分や人間には無限の可能性が秘められていて努力によって様々なことは解決されるという思考が根づいていると思われる。そしてそれには少年漫画だとか昔読んだ絵本、物語などがとても影響を与えていると思う。)、最近はそういうこともあるんだなぁと思うようになった。ああやだなぁと思う。だってそれだと行きたいところへは何時まで経っても行けないぜ。フーコーの「生―政治」的な感じ。ようは言語の専制に私はどんどん侵食されていっているというお話でございます。